ご承知のように、これまで牛の排卵、受精、子宮内膜への受精卵の着床等の研究は国内外で多数実施され、それに基づき受胎率を上げる方策が提案されています。
一般に牛の分娩後のエネルギー収支(NEB)のマイナスにより体脂肪や筋蛋白の動員が続づく時はエネルギープラスになった時よりは受胎率が低い傾向にあることは、臨床医であれば納得すると思います。
私がここで着目しているのは、泌乳牛の卵巣中の発育卵胞液中の遊離脂肪酸です。卵胞液中の遊離脂肪酸と卵子の発育との関係の詳しい研究は下記1) 、2)に示しておきました。
一般に生体の遊離脂肪酸は細胞毒の特徴を示し、卵胞液中に長い間その含量が高い状態であれば、卵子(卵母細胞)へのダメージは大きい可能性があります。
泌乳中期以降に卵胞の発育が始まる原子卵胞では、その牛のエネルギー充足は可能であり、その卵子への遊離脂肪酸によるダメージは少なく、分娩後から生長が始まる原子卵胞では、生理的にそれはむずかしく、卵胞液中で高い遊離脂肪酸の侵襲を受ける可能性があります。
分娩後NEBを低くするには、遺伝的改良による泌乳ピークの平準化(平準化した泌乳曲線の改良)の種牛の選定であり、栄養管理では、分娩後のエネルギー摂取量とその牛の乳生産に必要なエネルギーの差を少なくするような牛の代謝に持っていくことになります。
単純に濃厚飼料を増やし、エネルギー摂取量を増やせば、このNEBを低くできるものではないことは、これまでのブログを見ている方は理解いただけると思います。
冒頭の図は、1990年代分娩前60日以降、原始卵胞が生長する場合、順次排卵するまでにその牛のエネルギーバランスマイナスの時期が長くなり、分娩後3~4回目の排卵でその侵襲が高くなり、これが卵子の性能に悪影響を及ぼすという「Brittの仮説」が注目を浴びました。
その後の細胞レベルでの研究により、その具体的な原因の一つに前述の遊離脂肪酸が挙げられることになったのです。
以上、血中や卵胞液の遊離脂肪酸が高いことによる問題を説明してきました。
一方、牛の組織、細胞にとって脂質は不可欠であることも事実です。実際、医学分野の研究では、卵子に脂質が少ない場合は、受胎に影響を与える可能性があるようです( 3)参照)。
牛の栄養研究も牛乳生産だけのエネルギー収支に焦点を当てるだけでなく、受胎を両立させる、細胞レベルでの栄養研究をする時代に入っていると思う今日この頃です。
1)‟Oocyte developmental failure in response to elevated nonesterified fatty acid concentrations: mechanistic insights″(An official journal of the Society for Reproduction and Fertilty: Volume/Issue: Volume 145: Issue 1, Page Range: 33–44)
2)「飼養管理が牛の繁殖性と卵巣機能に与える影響:牛卵子内の脂質組成と発生能の関係」
(科研費:完了(2021年度))
3)「受精卵の発育には適量の脂肪が必要-マウス卵子からの脂肪滴を除去する技術的解明」
(プレリリース:量子科学技術研究開発機構、2019年11月)